お百度参りは神社仏閣に100回参拝する事を言いますが、祈りを神仏に届けて、病気の回復や
家族の安全祈願など誰かの幸せを願う為に行います。
新聞配達は祈りではありませんが、家族の幸せを願う為に、毎日、自然現象に耐えながら二百数十件
の配達をしています、これは自分だけの為だけではなく、やはり家族の幸せの為に行っています。
お百度参りは神頼みで、病気の快復や家族の安全祈願を願うのに対して、新聞配達は例えば病気の
回復であれば、配達によって得られた収入で少し高い薬を購入することが出来ます、それによって
良い治療が出来るようになり、回復に近づけることが出来ます。又安全祈願であれば例えば車を
購入する時に安全装置のフル装備の車を購入して、少しでも家族の安全に役立てることが出来ます。
神頼みは決して悪いことではありませんが、家族の幸せを願う気持ちはどちらも一緒だと思います。
配達中に思うこと,考えること
早朝の早い時間起きるのが辛い時が多々ありますが、やり始めると身体が自然と動き、だんだんと
テンションが上がってきます、この時に頭の中に浮かぶものは、音楽です、昔聞いた色々な音楽が
頭の中で流れます、私の場合は(中央フリーウェイ)がよく流れてきます、何故かわからないですが、
ポジティブ思考なので自然と良いことを考えるようになったのかもしれません。
お百度参りに例えるなら、(読経みたいなものかもしれません)
又、心配事や、やらなければいけない事、なども思い浮かべる事がありますが、こちらの頻度は
少ないです。
お百度参りをやったことはないですが、程よい疲れと、達成感があるのではないかと創造出来ます、
これは配達が終わった時も同様の感じが得られるから、なんとなくわかります、この様に考えると少し
似ているのではないかと思いました。